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嶋津(しまず)

北山川の右岸に位置する。地名は、北山川に村の西から北東までを囲まれ、島状の地形をなすことにちなむという(続風土記)。

〔近世〕嶋津村
江戸期〜明治22年の村名。牟婁郡のうち。和歌山藩新宮領。川之内組に所属。
村高は、慶長検地高目録では87石余、ほかに小物成4石3斗余。
「天保郷帳」「旧高旧領」ともに109石余。
明和〜寛政年間ごろの家数48軒(紀州新宮領分見聞記/続熊野の史料)。
小名に小川口があり、家数14軒(続風土記)。
北山川流域の荷を小川口まで出し、ここで船積みして新宮に送り出したため、小川口には問屋があり蔵敷料を取っていた、(紀州新宮領分見聞記/続熊野の史料)。
神社は池森神社、寺院は曹洞宗瀑布山竜徳寺。
明治4年新宮県を経て和歌山県に所属。なお同時に北山川左岸の当時の枝郷小川口を三重県に編入し、湯ノ口村(三重県紀和町)の一部(河根)を編入。
同6年には戸数18、男46・女39。
同12年東牟婁郡に属し、同22年玉置口村の大字となる。

〔近代〕嶋津
明治22年〜現在の大字名。はじめ玉置口村、昭和31年からは熊野川町の大字。
明治24年には東西1里1町・南北29町、戸数22、63・女54、小船4。
世帯数・人口は、昭和35年16・80、昭和55年10・24

引用
角川日本地名大辞典 30和歌山県
平成3年9月1日発行
発行者 角川春村
発行所 (株)角川書店



嶋津村 (しまづ)

(現)熊野川町嶋津、三重県南牟婁郡紀和町小川口

玉置口村の東南にあり、玉置口村との間に木津呂村(現 三重県南牟婁郡紀和町)が深く入込んでいる。
北山川が村の西から北・東を巡り流れる。
北山川の東に小名小川口がある。
慶長検地高目録によると村高87石余、小物4・369石。
川内組に属し、和歌山藩新宮領。天保郷帳では高109石余。
近世後期の「新宮領分見聞記」は、家数48でうち14軒は小川口にあったことを記す。
江戸時代には北山川流域の荷を小川口まで出して船に積み、新宮へ送ったが、そのため小川口には問屋があり、それぞれ蔵敷料を取った。
「続風土記」は小祠一社と曹洞宗竜徳寺を記す。
明治4年(1871)の府県区画整理で北山川を県境としたため、川の左岸の小川口は度会(わたらい)県(現 三重県)となり、右岸の湯ノ口村(現 三重県南牟婁郡紀和町)の小名河根(こうね)が和歌山県に属した。

引用
日本歴史地名大系 第31巻 和歌山県の地名
発行日 1983年2月18日
編集発行人 下中邦産
発行所 (株)平凡社